自由は不自由、という話。~札幌心療内科コラム

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かの哲学者カントは
「自由とは不自由である」
と言いました。
これ、一見逆ですよね。
なんで不自由なのに自由なんだ、と。
しかし実際、たとえば不自由の代表格として「法律」があります。
具体的に、人を叩いてはダメとか殺してはいけない、とか決まっています。
しかしこの法律がなかったら、我々はもう毎日、誰に叩かれるか殺されるか、ということをずっと心配しなくてはいけません。
おちおち外出すらできなくなります。
結果、ものすごい「不自由」なことになってしまいます。
すなわち、一見不自由な法律などのルールが決まることによって、我々はとても自由に生きることができるわけです。
また「スーパーマリオ」などのゲームでも同じですね。
たとえば初代スーパーマリオでできることは「ゴール方向に進む」ことと、「2次元平面で、ジャンプして敵を踏んだりする」ことが基本です。
左右によけたり、またはお金で敵を買収して~なんて自由度はありません。
しかし逆に「不自由でルールが決まった世界」だからこそ、わかりやすく、あれだけヒットしたとも考えられます。
これは僕たちの普段の生活でも同じです。
たとえば「1ヶ月間、朝から晩まで何をしてもいいよ」と言われたら、かえって何をしてもいいか分からず、ダラダラと過ごして、後悔してしまう人もいるでしょう。
しかし「休みは今日しかない」「そして今日は運動をする」など明確な縛りが決まっていたら、逆に充実して過ごせるはずです。
すなわち「何も縛りがない」「完全に自由で何も決まっていない」というより、明確なルールなどがたくさん決まっていたほうが、より充実して過ごせる、とも考えられるのです。
よってみなさんも、生活において、「朝は起きたらストレッチをする!」とか「夜にはSNSを見ない!」とか、何か自分なりのルールを決めてみることをオススメします。
ルールを決めるほど、そしてそのルールを「自分の意思」よりも「上」において生活してみるほど、かえって生きやすく、かえって前向きになれることに気づくはずです。
どうか試してみてくださいね。
(完)



